組織における性善説と性悪説コミュニケーション – 2014年 7月18日

最近、組織マネジメント系のエントリーが多くなってしまっておりますが、今回もそっち系のお話。「部長が思った通りのスピードで成果を出してくれない」「社長である自分が現場でグリップしないと中々進捗しない」という自走する組織作りに悩みを抱えているトップは多いのではないでしょうか。

このような課題に対して、「何をやるか」という「やること」にフォーカスしがちですが、意外とトップ側のコミュニケーションや意識の置かせ方に課題があることも多いなぁと思っていたりします。

性善説コミュニケーション

組織やチームにはビジョンがあり目的があり目標があります。会社という組織であれば、トップである社長はそれを明示し、共有できる自分の分身たる各部門の部長らにマネジメントを任せていることが多いと思います。

このように「ビジョンや目標は共有できているはずだ。やってくれるはずだ。」というある種の性善説に基づいて信じて任せるというのは素晴らしいことだと思いますし、ワークしているチームも沢山ありますが、特にベンチャー企業のように組織として未熟な場合、それだけでは中々うまく行かないことが多く、会議では「なぜまだこの進捗なんですか」「具体的な実行計画を出してほしい」「進捗報告してほしい」などとやり取りが続き、翌週の会議でも同じ会話が繰り返されて悩んでいるトップは多いはず。

現場リーダー側も、さぼっている訳ではなくトップからのオーダーに必死に答えようと努力しているのに、なぜこのような状態になるのでしょうか。

性悪説コミュニケーション

自走する組織においては、チームのビジョンや目標などを「自分ごと化(当事者意識を持っている状態)」できているかが非常に大切です。特に現場リーダー自身が自分ごと化していることは必須条件といっても良いでしょう。

逆に自分ごと化できていないと、どれだけビジョンが高貴で目標が明確でも、他人ごとに対して、ラスト1マイルを走りきれという方が難しいのではないでしょうか。人間の本質でもあり、当り前のマインドに対して、性悪説に基づいてコミュニケーションする、つまりトップから現場リーダーに対して「自分ごと化」できるようなコミュニケーションをすることが時に非常に重要です。

例えば目標設定の場があったとして、トップが決めた方針を共有してその通りの実行を求めるのと、トップの方針は共有するまでも、現場リーダー自身ならどういう方針でやるか考えてもらい、どのように自分ならやりたいのかを出してもらい、その案をベースに進めてもらうのでは、どちらが「自分ごと化」できるかは明白です。

結局は両方のバランスが大事

性悪説というと少し言葉は悪いのですが、相手を信頼しないということではなく、信じて任せ、かつ自分ごと化できるようなコミュニケーションをすることでより高いレベルのチームビルディングが可能になります。

そして、性善説コミュニケーションも性悪説コミュニケーションも両方必要であり、会社のステージや文化によってもそのバランスの取り方は違ってくると思いますが、どちらか一方にだけ偏重していると中長期的に成果がでるチーム作りは難しいなぁと思っている今日このごろです。

これらのベースには前回のエントリーで書いたように「自分ごと化」力が高い人の、リーダーへの登用が非常に大切なのは言うまでもありません。

カテゴリー:組織・マネジメント